しばらく会津通いは続きそうです。
もう一週間過ぎてしまいましたが、まずは昨日、写真集「会津の山々」をUPしました。 書けば書くだけ長いレポートになりそうなので、とりあえず途中まで。 <10/23> 早朝、まだ暗いうちに自宅を出発。 会津までの道のりは長く、関越道小出ICから国道252号線、通称「雪割り街道」を通って六十里越(新潟と福島の県境)を通過、福島県南会津郡只見町に到着したのは、お昼頃になっていました。 今回はテントで浅草岳へ2泊3日(10/23?25)で入ってくる計画でした。(26日を予備日) 天気は移動性高気圧に覆われて、三日間は晴れの予報。 でも、上越の山間部に雲が残っていて、23日の午前中は雨が降る予報。 実際に、新潟からの道のりでは雨に降られましたが、福島側に入ると雨も止み、天気は回復へと向かっていました。 お昼からの登山ということで中途半端ではあったんですが、どこでも宿泊出来るように、入叶津登山口で水をたっぷり補給して出発。 夏に一度来ている道なので、テントを張る適地に目星はついてました。 秋の気配が漂い始めた道のりを、のんびり歩み入っていきました。 沢沿いの道には背丈を越すススキが一面に伸びていたり、夏には見られなかった会津の秋の顔に、一つ一つ反応しながら、歩きました。 夏に休憩した場所、ラブリーと来た昨年の思い出、記憶が呼び覚まされてきて、懐かしさがあふれてきました。 何より今回新鮮な驚きだったのが、昨年ラブリーと登った時(↓)に、雪の段差に行き詰まって、しばらくラブリーを繋いでいた樹がありました。 http://michi-and-lovely.cocolog-tcom.com/michi_and_lovely/2006/05/post_54f3.html 横倒しになった樹だったので、ラブリーを繋いでおくのにちょうどよかったんですが、今回その樹を良く見てみたら横倒しになっていても、なお元気に芽吹いて、葉を広げているのに気づいたのです。 夏には気づかなかったので驚きでもあったのですが、ラブリーと「ゆかり」のある樹が今も会津の森の中で生き続けてくれていることがなんだか嬉しくなって、バシャバシャ写真を撮ってしまいました。 この日は、適地でテントを張り、早めに夕飯を食べて就寝。 夜は月が出ていて、明日の好天を期待して眠りにつきました。 <10/24> 夜明け前に起床。 朝は霧が立ち込めていましたが、秋の色づいた森が霧に包まれている景色がまた神秘的でした。 登るにつれ晴れ間が見えてくるだろうと予想していると、やはりそうでした。 一時間も歩かないうちに、頭上に立ち込める霧の向うから綺麗な空色が透けて見えてきました。 見晴らしの良いところで休憩していると霧が晴れ、眼前には半分(?)が雲海に埋まった会津の山並みが見えていました。 平石山にたどり着くと、朝陽を斜めに浴びて、黄金色に輝くブナの森が待っていました。 ここからはブナの巨木が点々としている場所。 何度も見上げ、感動しては、写真を撮り、見上げ、「すごいなー」と言っては写真を撮り。 すっかりカメラ小僧と化してました(^.^) 夏のブナ林も素晴らしかったのですが、黄葉したブナはまた存在感を増していて、時折現れるモミジやウルシが目が覚めるほどに赤く色づいていたり、この時期しか味わえない森の共演がまた素晴らしかったです。 この日はさすがに天気が良く、普段はほとんど登山者がいない浅草岳も三組ほどの日帰りの登山者が僕らを追い抜いて行きました。 僕らは重装備なのでゆっくり歩いて、お昼過ぎに9合目の天狗の庭の下に到着。 テントを設営して、ゆっくり休憩をとり、夕飯の下準備を先に済ませました。 日帰りの三組が下山して行くのを見届けた、15時頃、僕らは山頂へ。 ここから山頂へは登り40分、下り30分の道のり。 夕暮れ時の山頂を味わってから降りようと、防寒着とヘッドランプなど最低限の荷物だけもっていきました。 夏に来た時は、山頂では完全に晴れてはいなかったので、初めてみる360度の展望を眺め、地図で山座同定をしながら歩きました。 特に、北北西の方角、雪を被った山並みが確認できました。 ずーと行ってみたいと思っていた飯豊連峰。 初めて自分の目で見た事で、道が開けたような気がします。 「この時、初めて飯豊連峰と出会った」という表現が正しいのかもしれませんね。 来年、おそらく僕はあそこを歩いているに違いありません(^-^) 山頂からは雲一つ無い空。 富士山こそ確認できなかったものの、遠くの山並みまではっきりと確認できました。 やがて、夕暮れ。 空が刻々と色を変えていく姿を、ただただ見ていました。 なんとも贅沢な時間です。 太陽が沈むのを確認して、「我が家」へと戻りました。