2月にガイド協会の資格更新研修会で霧ヶ峰に行ってきました。
霧ヶ峰は今までで家族でドライブで立ち寄ったことがあるだけで、ほとんど山を歩いたことがなかったのですが、興味だけはあって。
何よりも。諏訪大社との関わりとか歴史が深い山ですからね。
かなり年季の入った、新田次郎の「霧の子孫たち」を古本で手に入れていて、読もう読もうと思っていて読めていなかったことを思い出して、帰宅してから一気読みしました。
こういう本は、実際に現地を訪れる前に読むよりも、山を歩いた後、興味が芽生えたタイミングで読むのがいいなと感じました。
霧ヶ峰も美ヶ原も百名山ではありますが・・・
霧ヶ峰も美ヶ原も百名山なのですが、山頂近くまで道路が通っているので、「登山」の対象というより、高原ドライブのついでに立ち寄る場所というイメージが強いですよね。
道路が無ければ、自然の魅力をもっと楽しめる山として残っていたのかもしれないなと感じます。
でも、これは霧ヶ峰などに限ったことではなく、私が良く行く富士山でも同じことです。
5合目までの道路が無かったら、山麓を縦横無尽に巡らされた林道が無かったら、どれだけの自然が残っていたんでしょう。
既に失われてしまった自然を嘆いたところで、取り戻せるわけでもないのですが・・・
自然と歴史を最大限感じ取る
自然が失われたといっても、全てが消えてなくなったわけではなく、部分的に残っています。
あまり知られていなくても、歴史的な史跡はそのまま残っているものがあります。
また失われたものを語り継ぐこと、想像することも大切だと考えています。
富士山では1合目からの富士登山を長年やっているように、霧ヶ峰でもビーナスラインを使わず、歩いて下から登るガイドツアーをいずれ実現したいですね。
もちろん便利なので普段車で移動していますし、山岳道路も使っています。
ですが、ガイドとしては機会があれば、車を使わずに麓から歩いて登るスタイルを提案し続けたいと考えています。
その山の自然と歴史を最大限感じ取る方法、これからも模索して行きたいです。