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「どうして突然?」と思っている方もいると思うので、まずは簡単に報告をしようと思います。
すみませんが、長くなるのと、重くなります。

3/6に友人二人に助っ人に来てもらって、トラックを使って引越しをした。
その日の夜のうちにラブリーの体調不良もあるので、母が手伝いに来てくれた。
この日から、新しい家の方に泊まるようになった。

3/7は元の家の片付けとトラックで運べなかった細々としたものを自家用車で二往復して移動。
3/8は朝から一人で元の家に行って、捨てる物の整理と、清掃、PCを置きっぱなしにしていたので、メールチェック。
結局6時間くらいラブリーを新しい家に留守番させていた。

3/6以降まともに食事を食べれていなかったので、帰宅して状況を見てから動物病院に連れて行こうかと思っていた。
帰宅して、まずは食事をと思うが食べてくれない。

では、おしっこをさせるために散歩に出そうと声をかけると、立ち上がってハウスから出てきた。
立ち上がる体力があるので安心した。
少しフラついていたが、食事をとってないせいだと思っていた。

今後、外でしか用を足す事が出来ない癖を直せないものかと思っていたので、試しに風呂場に下ろして、トイレシートを敷いてみた。
でも、こちらの願いも届かず、いつものように動き出したことで呼吸が乱れてきて、風呂場の詰めたい床の上に座り込んでしまった。

このままではいけないと思って、抱きかかえて外に出す。
引っ越してきてから、家のスグ外、玄関から3mほどの場所でおしっこをしてくれていたのだけど、この日に限ってすぐにおしっこをせずに座り込んでしまった。  体が冷えては負担がかかると思って、おしっこをしないなら家に戻そうと思って立ち上がらせようと思うのだけど自力では立ち上がれない。

支えてあげながら、体を抱き起こす。
もたもたしてると体に負担がかかるので、体につけたハーネス(胴輪)の持ち手を持ちながら、移動させる。
すると再び玄関の前で座り込んでしまう。

すると、座りながらウンチをし出したので、立って踏ん張ることも出来ないことに気付く。
慌てて、ティッシュで処理して、とりあえず家に戻そうと抱き上げようとした瞬間だった。

バタンと力なく横倒しに倒れた。
呼吸をしていない。

これはまずいと思って、即座に人工呼吸を始める。

何かの本で、口を押さえて鼻から入れる方法を読んだような記憶があったのだ。
そこから先の記憶はあいまいで、前後がはっきりとわからない。

とにかく、何回か人口呼吸を続けたけど、ラブリーに反応がないので、とりあえず、自宅の玄関の中まで運び入れる。
人工呼吸でも状況は変わらないので、心臓マッサージも始める。

どこが心臓だかなんて分からないけど、何もしないよりはましだろうと思ったからだ。

このままではいけないと、部屋に携帯電話を取ってきて、動物病院に電話をする。
先生が車で来てくれることになる。

ラブリーの体を冷やしては行けないと思い、近くにあったキャンプ用の銀マットを敷いて、毛布を被せて、その上で人工呼吸と心臓マッサージを続ける。
長かった。

先生が来るまで、だいたい30分間、腰が痛いなんて言ってられないから、ひたすら人工呼吸と心臓マッサージを続けた。

途中、片手で心臓マッサージをしながら、母に電話をした。
あと、動物病院から電話があって、鼻の下に心臓のツボがあるからそこを突くと良いという。

それでも、ラブリーの鼓動はまったく聞こえてこない。
先生が車で来ても分かりやすいように、家の前の道路に目印で毛布を置く。

仮に蘇生をしたところで、苦しみが長引くだけかなと思いながらも、何かラブリーのためにせずにはいられない感覚だった。
目を覚まして欲しくて、心臓マッサージ、人工呼吸の間、ずっと語りかけていた。

早過ぎる。
もっと一緒に山に行こう。
また一緒に散歩しよう。

ほっぺたを叩いて、「おい、起きろ」と言ってみる。

やべ、書いててまた泣けてきた(*^_^*)

先生が着いても、死亡を確認してもらうだけだった。

先生の前でも、涙はこらえることなんて出来なかった。

ラブリーをベットに移し、一晩自宅に安置するために、アイスノン(保冷剤)を入れる。

礼を言って先生を見送る。
ただただ、目の前に突然現れた現実に、呆然とする。

色んな感覚がごちゃ混ぜになって襲ってくる。

ラブリーの死という現実を受け入れざるを得ない状況で、突然、自宅に一人残された。

動かなくなったラブリーと向き合う。
ただただ、泣いた。

泣きながら「ありがとう」という言葉だけが出てきた。

前にもこのブログにも書いたけど、僕はラブリーを飼っていなかったら今の自分はいないと思っている。

18-28歳という、人生の中で最も色んなことを考え、社会と関わっていく10年間に、ラブリーと共に過ごしてきた時間は本当に貴重なものだった。

ラブリーと一緒にいることで、自由が制限されることもあったけど、何物にも変えがたい経験をさせてもらったと思う。

これから、色んな犬と出会うことは出来るけど、ラブリーには二度と会えないのだと思うと、僕がラブリーと出会えたことは、この星に生きた生き物同士として、どれだけ奇跡的なことだったのかと痛感する。

本当に、有り難いことなんだよな。

 

「大丈夫です」と言えば強がりになるかな。

今日もエコツー講座に普通に参加できたし、明日からも普通に仕事に復帰できると思う。

でも、一人で考え事をしていると、スイッチが入ってしまう時がある。

今晩「かつや」で夕飯を食べている時もそうだった。

花粉症の季節でもともと目が充血してるから、周りにはあまり気付かれないかな。

それにしても、色んな意味で、ラブリーは3/8という絶妙なタイミングで旅立ったように思う。

もし一日後の3/9だったら、今日のエコツー講座にも参加できなかったと思う。

 

さらに、この9日にラブリーの介護用品として、床擦れ防止用のベット、歩けなくても散歩できる車椅子、ウェットフード保存用の食器、庭との出入りのためのスロープ、食事を補助するための大きめのスプーン、あと、車に乗りやすいように台座も買おうと計画していた。

ラブリーの具合が悪いから、その時が近づいているのは感じていた。
だから、引越しが片付いたら、最後の思い出作りに、一緒に車で一ヶ月くらい旅に出ようとも思っていた。

僕の手を煩わせないように気を使ってくれたのかな。

結局寝たきりになったり、オムツの介護生活を送ることも無く、あっさりと旅立ってしまった。

その辺が、またラブリーらしい。

3/7の夜、つまり前夜。
引っ越して直後だから、まだハウスを柵で囲っていなかった。

だから久しぶりにラブリーの枕元で、隣同士で寝た。

呼吸は荒かったけど、いつも通りだった。

どこまでも従順に、最期の日までいつもどおり留守番をして、いつも通り外に散歩に行こうとした。

忠実に僕の期待に応え続けてくれたわけだ。

その反面、ラブリーのために特別何もしてやれなかったという後悔や自責の感情もある。

輸血や点滴などをもっとしてあげたら、もう少し頑張れたのかも。

どこから始まったのかは分からないけど、解剖の結果では脾臓や肺に病変があった。

悪性の腫瘍であったなら、あそこまで体調が悪化する前に気付いてあげたかった。

タラレバは考えはじめたら尽きない。

こうした様々に湧いてくる感情にしばらく向き会い続けることになるんだろう。

書きたいことは今後も色々と出てくると思う。

きちんと自己一致していくためにも、恥ずかしがらずに綴っていこうと思う。

あと、ラブリーは、病変組織を病理検査してもらっている。
その結果もきちんと報告します。

 

最後に、今はっきりと自覚していることについて

今まで「ラブリーがいるから」という言い訳をして、諦めてきた目標。
それに挑まなかったら、やっぱラブリーに申し訳ないということなる。

すぐに気持ちを切り替えることなんて出来ないけど、30歳になるまでにあと一年ある。
20代のうちにチャレンジ出来る機会をラブリーが与えてくれたんだなと。

これからの僕は、ラブリーという大きな後押しを受けて、生きることが出来るんだと思う。
僕が僕らしく生き続けて行くこと。  そのことが、これからもラブリーが僕の中で生き続けるってことなのかなって思っています。

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