師
大学時代に、キャンパスの中にボランティアセンターを作って運営するという活動をしていました。 もちろん、どこからか給料が出ているわけでもなく、全てが無償の活動でした。 大学が企画したわけではなく、「学生の、学生による、学生と地域の橋渡し役」をすることに大きな可能性を見出して、一歩を踏み出したことから始まりました。 学生時代はいくつものボランティア活動に携わり、今から思えば、私は本当に貴重な経験の数々を得ることが出来たと思っています。 その原点は、「人の役に立ちたい」などといったカッコいいことでも何でもなくて、机の上に座って勉強をしているよりも楽しかったからです。 浪人時代も塾に通わずに、ボランティアをしていました。 そんな数々の経験を通して、色々な問題があったり、頑張っている人たちがいる現場に、「飛び込んでいく」ことが大きな学びにつながっていくことを、誰よりも実感していました。 そんな思いを共有できる仲間がいたからこそ、ボランティアセンターが現実化しました。 また、新潟中越地震の被災地にバスをチャーターしてボランティアに入ることも出来ました。 そして、そんな学生たちと一緒に活動をしてくれた方がいました。 ボランティアセンターの顧問としてその運営に大きく協力して頂いたO先生です。 ボランティアセンターの事務局とする場所が無いとなれば、快く研究室を利用させてくださり、2度のボランティア学習学会での実践報告にも同行して頂き、もちろん、中越の被災地に行く際も行動を共にしてくださいました。 色々な場面で協力を頂きましたが、その運営・活動自体は学生の自主性、主体性を最大限に尊重して下さいました。 どんな内容でも、学生自身が下した決断や行動をしっかり認めてくださいました。 今から思えば、本当に暖かい目で見守って頂いていたんだと痛いほどに理解することが出来ます。 世の中には、生涯の目標となる先輩に出会うことが出来ない人もいると思います。 そう考えると、私たちは本当に恵まれていたのだと思います。 そんなO先生が大学を辞め、児童施設の現場に復帰すると聞いて、何年かぶりにボランティアセンターの仲間たちに声をかけ、6日夜に「お疲れ様会」を開催しました。 2次会のあと、仲間たちとファミレスで夜を明かし、始発電車に乗ることに。 そんな中、最近読んだ本に紹介されていたソクラテスの言葉(※)を思い出していました。 「自分自身」と向き合ったからこそ、今があるのかな。 そんなことを思いながら、家路についたのでありました。 ※「真の良師とは弟子に何物かを教える者ではない。弟子をして弟子自身にめぐり合わせる者である」