今日は私の「宝物」の写真をご紹介します。
この記念写真の一番右に移っている女性(一番背の高い女性)は、私の祖母です。
祖母が亡くなった後、母と遺品を整理しに行った時に、アルバムの中から、この写真を見つけたのです。
分かる方には分かるのですが、この写真、富士山の山頂で撮ったものです。
私は、この写真を見て、一発で分かりました。見慣れた風景ですからね(^.^)
背後に写っているのが、日本最高峰の剣ヶ峰です。
おそらく山頂の一画、東安河原(ひがしやすのかわら)で撮影したものと思います。
同行者の方がカメラを持っていたのか、山頂で撮影してくれるサービスがあったのでしょうか?
この写真を発見して、祖母が生前に語っていたことを思い出しました。
私が大学で登山を始めた頃に、「若い頃に私も富士山に登ったんだよ」と言っていました。
独身時代に東京で事務員として働いていて、職場の人たちと一緒に登りに行ったこと、
掻巻(かいまき:袖のついた着物上の寝具)を背負って、御殿場の駅から歩いたと言っていました。
写真から、戦時中であることが良く分かります。
祖母は大正14年生まれなので、昭和15-18年頃の写真ということでしょうか。
正確な年代が分かりません。
職場の同僚の方が富士講に所属していて、連れて行ってもらったと聞いています。
戦前ですから、今のように5合目まで便利にアクセスできる時代ではありません。
もちろん、山小屋などの設備も充実していない時代の富士登山です。
祖母から話を聞いただけでは、なかなかその当時のことを想像することは出来ませんでした。
しかし、祖母の死後にこの写真と出会い、祖母が体験した富士登山を、私も少しだけ知ることが出来ました。
祖母との思い出
祖母は旅好きで、私が小さい頃からよく家族と一緒に旅行に連れて行ってくれました。
中学生になると、祖母と二人きりで北海道に旅行に行ったこともあります。
祖母は大正生まれの女性にしてはとても行動力がありました。
ツアー旅行は一切使わず、自分で交通手段や宿泊先を選んで、旅を楽しんでいました。
家族で旅行にいっても、一日とか半日とか、自由行動(個人行動)の時間をとる場合がありました。
中学生の時に祖母と二人でいった、北海道旅行では小樽滞在の日に数時間の自由行動がありました。
春休みだったので、市街地を外れるとまだ雪がある時期でしたが、私は1人で小樽駅の裏手にある旭展望台に登りました。
登山と言うほどの場所ではないですが、まだ足元には雪がある時期、普通は中学生が1人で行く場所ではないと思います。
なんとなく、高いところから景色を見てみたいと思って、行ってみたのが私の人生初の単独登山でした。
雪があって予定の時間に遅れ、待ち合わせの小樽駅に戻ってきた時に、祖母は当然心配して待っていました。
展望台まで登ったと聞いて、驚いていました。
携帯電話なんてない時代です。
駅で孫を待ちながら、警察に連絡しようかとか、色々と頭をよぎったことでしょう。
でも、決して「危ないことをして」と叱られることはありませんでした。
そのことが妙に記憶に残っているのと同時に、こうして自由に旅をする楽しさを教えてもらったんだと思います。
積極的に旅をすることも、山へ登ることも、私の中ではどこか繋がっていると思います。
まだ見ぬ世界への好奇心。
子どもの頃に芽生えていなければ、きっと登山を好きになっていない。
もちろん、今の仕事もしていなかったかもしれません。
貴重な体験をさせてくれた祖母の、大切な富士登山の写真。
いつまでも大切に保管したいと思っています。