2024年になりました。
今年もよろしくお願いします。
新年一発目の投稿が去年の投稿の続きというのもなんですが、年末年始でずっと頭の中にあったテーマなので、文章にして留めておこうと思います。
失敗を笑わない
前回の投稿で「失敗を笑う」という言葉を書いたことがきっかけでこの年末年始は、そのことについて色々と考えることがありました。
まず最初に目についたのが、テレビ番組。
バラエティ番組のドッキリ企画や「衝撃映像」といった動画紹介番組に至るまで、他人の失敗やミスを笑うものが多いですね。
自分自身もそうした番組を見て、笑っていた人間ですが、今回のことがきっかけで笑われる人の立場を考えるようになってしまいました。
もちろん、バラエティ番組に関しては、台本があって仕事として笑われる立場に立つ人がいるので、そうしたコンテンツを批判的に見る意図はありません。
ただ、そうした「失敗した誰かを笑う」流れを社会がすんなり受け入れていることは事実です。
そして、それはテレビ番組のコンテンツの中に留まらず、Youtubeをはじめ様々なメディアで見られます。
さらに、それはこの社会のあらゆる面に広がっていますよね。
そして思い出しました。
私にとって中学生時代の部活体験が、ずっと心の中でわだかまりとして残っているということを。
立場が弱いと笑われる
部活の顧問は常にしかめっ面で怖い顔でした。
当時の男子校の運動部顧問は誰も皆同じようなものだったと思います。
体罰がなかっただけ少しはマシだったのかもしれません。
レギュラーになれない補欠部員だったので、褒められることなどなく、常に厳しい声しか掛けられることがありませんでした。
下手であるということで、仲間達からも人一倍、笑われました。
体育会系の息苦しい空気に耐えて、3年経ったら好きだったスポーツが好きではなくなっていました。
時が経つほどに苦い思い出だけが残り、肯定的な記憶は残っていません。
あったのかもしれませんが、記憶から消えています。
30年前の体育会系の部活なんて、そんなもの。
そう理解しているので、誰かを特別悪く思ってはいません。
個人を恨む気持ちも全くありません。
また、失敗を笑うことそのものに問題があるとは思いません。
対等な立場の仲間同士が、失敗を笑い合いながら双方楽しく遊べているのであれば、何ら問題ありません。
ただ、スポーツの実力で立場が弱くなり、どちらかが一方的に笑われてばかり、という状態が存在すると話は別です。
一方的に笑われる人がいるということは、そのコミュニティにハラスメント文化があったということなんだと思います。
私が折に触れて、ハラスメントについて語りたがるのは、こうした経緯があるからかもしれません。
スポーツ技術や経験値、実力の差が上下関係に結びつく文化そのものが、「ウィークネス・フォビア」なのではないでしょうか。
競技性のない登山に魅かれる
こうした中学時代の経験を経て、むしろスポーツ競技への関心が薄れたからこそ、その後大学生になり、登山の世界にのめり込めました。
20代、私は急激に山の世界に傾倒していきます。
その大事な下地になったのが、中学時代だったとさえ思います。
登山の世界でも強い弱い、速い遅いという実力の差は当然あります。
ただ、それを比較する必要もなく、比較されることも少ない単独登山を好んだのもそうした経緯があったのだと思います。
私自身は山岳部、山岳会に所属したことがないので、登山を始めてからは一方的に笑われるというネガティブな体験をしていません。
それは最初に山の世界に導いてくれた先輩の人柄の影響が大きかったのだと思います。
今こうして私がこのようなことを書く人間になったことは、自分自身の固有の性格や価値観の影響だというよりも、先輩から受け継いだ「文化」なのではないかと。
なので、私自身が与えてもらった自由で平等な登山環境を次の世代に繋げていきたい、繋げていかなければならないことも再認識しました。
どんな人であっても、自然の中に入れば一人の人間、そこに上下関係は不要です。
立場の差がなければ、失敗を一方的に笑うということも必然的に起こらないのです。
そうした環境を大切にしたいです。
自分にとって、もはや当たり前な登山文化なので、今まで言葉にすることはありませんでした。
こんな機会でしか文章にすることもなさそうなので、書き綴ってみました。
皆様のまわりはどうでしょうか?