免許更新で思ったこと。
昨日は丹沢に水汲みに行ってきた。 いつもなら吹き出し口にタンクを置いて、しばらく待たないと、20Lが一杯にならない。 今回は、梅雨時だったので、湧き水の量も豊富で一瞬でタンクが満タンになった。 帰宅してから、昨週録画しておいた「ハウルの動く城」を見た。 ブログを書くのがメンド臭くなって、そのまま寝てしまった。 さてさて、今日は、二俣川の運転免許試験場へ、免許の更新へ。 いつも思うのだが、警察とか運転免許試験場って、どうも雰囲気が暗い。 社会主義国家の公共施設って感じだ。(←あくまでも僕のイメージ) 建物が単純に古いってこともあるけど、案内表示が分りにくくて、食堂のご飯がまずくて、サービスが悪い。 事務員の人の制服も古めかしくて、喫煙所が廊下や階段にあるから、全く分煙の意味が無い。 免許の更新の時はいつも、他の行政施設では感じない、異様な重苦しさを感じるのだ。 しかも、更新のための講習ではお決まりの「べたドラマ」。 そういえば、くりーむしちゅーの日テレの番組で、そんなのやってるね。 今回見たミニ映画は、一家の母親が交通事故→不幸の連鎖→一家離散というストーリーだった。 更新の時の講習や、違反者講習とかで、毎回この手の映画を見させられるけど、決まって交通事故をきっかけに人生が狂ってしまう加害者or被害者という内容だ。 こういう、ネガティブな情報を流すこと以外に、もっと効果的な講習があるんじゃないかといつも思うのだ。 これは自分自身が、交通事故の加害者になったことがあるからこそ、思うのだ。 確かに大半の人が「自分は事故なんて起こさない」と思っている。 自分が事故を起こして初めて、自らの認識の甘さに気付くものだ。 だからこそ、多くのドライバーにもっと自分の事として認識してもらうために、警察もミニ映画を作って見せているのだろう。 でも、正直、受講した人が真剣に見ているとは思えない。 しかも、既に被害者、加害者になったことのある人間にとったら、そのようなドラマを見ることすら、「過去」を思い出すので辛いのだ。 講義を担当する警察官も、交通安全協会の人も、毎日同じことを話していて飽きているのだろう。 早口で話すものだから、言っていることが分らない。 そもそも、面白いわけでもない内容が、さらに聞きとり辛いのでは、聞く気が失せてくる。 そのような講義内容では、民間の予備校や塾の先生ではスグに首になってしまうだろう。 やっぱり、警察の体質って古いんだろうなぁなどと思いながら、今日は講義を聞いていた。 ホニャララ協会とか、ナンチャラ協会とか警察官の天下り機関との癒着とか、パチンコ業界との関係とか、アンタッチャブルな世界なんだろうな。 アンタッチャブルと言えば、イスラエルが戦争を始めてるのに、メディアは一切戦争という言葉を使わないのは、やはりその辺もアンタッチャブルだからなんだろうなぁ。 そんなことに思いを巡らした一日でした。