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 我が母校の体育の集中授業の一つ「山岳実習」。  最初に参加したのは、大学三年の時(2000年)、甲斐駒ケ岳の黒戸尾根だった。  翌年2001年から補助スタッフとして関わり始め(甲斐駒ケ岳)、2002年(谷川岳)、2004年(丹沢)、そして今年と、毎回欠かさずに参加して来た。(2002年から隔年開講)  今回はマサから直接、手伝いを依頼されて、急遽ラブリーを母親に預けて参加することになった。  細かく書くと長くなってしまうので、いくつかのテーマに分けて書きます。 ●富士山という「カミ」   前日にベースキャンプの下見に行った時に、グリーンチャペルに足を踏み入れた時から。  とにかく衝撃を受けて、胸が苦しくなった。  それほどチャペルの木立の隙間から覗く、山中湖と富士山の迫力があって、全てを超越しているようだった。  それまでも、僕にとって富士山は特別な山ではあったけど、この時から確実に「カミ」として意識するようになったと思う。  山尾三省さんの本を読んで以来、自然のそこかしこに「カミ」を感じてはいたが、これほどまでに明確に意識したのは初めてだった。  四泊五日の沢旅を経て、山中湖を望む富士岬平にたどり着いたとき、富士山の方角には厚い雲がかかっていた。  でも、祈れば晴れてくれるような気がしたし、「そんなことあるわけない」と思いつつ、そのうちひょっこり姿を見せてくれるようなそんな予感のようなものがあった。  山中湖に降り立ち、しばらくしてからほんの一瞬だけ姿を見せた富士の頂。  嬉しかったけど、見えることが必然だったような気がしたのは僕だけだったのかな。 ●二年ぶりの水の木沢  水の木沢に入るのは二回目、二年前の六月に一泊二日、単独で行ったことがあった。  しかし、今よりもまだまだガッツキながら山に登っていた時期で、水の木沢の美しさに感動したけれど、日程の都合もあって、足早に沢を遡行しただけで、記憶もそれほどはっきりしていないのだ。  だからこそ、のんびり二泊三日で水の木沢に入れることが個人的にとっても楽しみだった。  二年前の山岳実習、そして、屋久島、さらに今年の入ってからの丹沢と、ますます、のんびり森の中の植物や生き物を見つめ、感じながら歩くスタイルが定着してきていたので、今の自分が、どのように水の木沢と西丹沢の源流の世界を感じるのだろうかと期待していたのだった。  そして、それは期待以上だった。  前回以上に様々なものが目に飛び込んできて、とても豊かな時間が持てた。  時間の感覚が失われるほど濃厚な時を過ごす。  この体験がおそらく屋久島以来だったので、とっても懐かしい感覚だった。  焚き火の前でマサの歌声を聞きながら揺れていると、いつしか意識は遠のいていて。  森の中ハンモックに揺られて眠ったのも心地よい初体験だった。 ●僕自身の振り返り  今回は特に、沢沿いを歩いて、コケむした岩、そしてそのコケの中に生える無数の木の芽、草の芽。  その一つ一つに目がいき、そして、一つ一つが愛おしく感じたのだった。  一つ一つと向き合っていたら、もっとのんびり歩くことも出来たろうと思う。  あの、芽生えたばかりの命たちは、おそらく、大きくなることは出来ないだろう。  もしかすると、コケの上に根ざして少し大きくなることはあっても、沢沿いの岩の上だ、立派な大木になれる可能性はない。  それでも、あの小さな小さな命たち、形として残ることない儚い命の、その存在を今確かに目にしている自分がいて、そのことに意味があるように思えてならなかった。    四日目の最後の夜、皆に話したときもそうだったけど、今でもうまく説明できない。  ただ、帰りの車の中で気付いたことは、それが、「自己一致」とつながっているのではということ。  自分自身の心の中、芽生えてはいるけどなかなか形にはならない「思い」。  その時の都合で、見捨てられて気付かれずにいる「感覚」。  そういった、自己感覚にきちんと「自己一致」していくことを、この一年、心がけて生活している。  そのことから、自然と向き合うときの姿勢にも変化が出てきたのではないかなと思う。  「自己一致」が自分自身の中の細部に目をやることであるなら、森の中の小さな命に目が行くことも同じようなことなのだと感じたのでした。  とりあえずこんなところかな。  また何か思い出したらUPします
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