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 今読んでいる本「自分を信じて生きる?インディアンの方法」にネイティブ・アメリカンの人々の話しがあって、興味深く読んでいる。  その中に、「フォックス・ウォーク」という言葉があった。  初めて知る言葉だったけど、その中身は既に自分が行っていることに通じている部分が多くて、感銘をうけた。  「フォックス・ウォーク」のことをここで説明したいので、本に書いてあったことを抜粋しながら、紹介しますね。  トム・ブラウン・ジュニアという白人でありながら、インディアンから「大地の上で生きる技術や精神性」を学び取った方がいるのだそうだ。  この人が「トラッカースクール」という場所で、この本の著者にトラッキング(足跡を追うこと)、サバイバル(自然の中で生きる技術)、アウェアネス(自然を深く知覚する能力)を教えた。  そして、「フォックス・ウォーク」は森の中で五感をはじめ、第六感である「直感」まで活かすことが出来る歩き方 なのだそうだ。  常に何かを凝視するのではなく、目の力を抜いてリラックスさせ、口元は笑うようにゆるめ、広い視野で見るようにする。  さらに、自然の変化に気付く三つのポイントがあるのだそうだ。  ?ゆっくり歩く  いつもよりペースを落としてゆっくり。視野を広くすることを心がけることで、今まで見過ごしていたものが見えてくる。  ?静かに歩く  だまって静かに耳を傾ける。風の運んでくる音やにおいに集中する。  ?しゃがんでみる  視点を変えてみる。地面をはったり、寝転んで頭上を見上げてみたり見方を変えてみる。  詳しいことを知りたい方は、僕に聞くか、この本を読んでみて欲しい。  かなり興味深い話しが多い、久しぶりに中身の濃い本に出会ったと思う。   しかし、この「フォックス・ウォーク」という言葉は初めて出会ったわけだけど、気付かないうちに、自分でも実践していたと思う。  まず、ゆっくり歩くことについては、FOSでマサ達と山に入ることで、ゆっくり歩くことを経験したことが一番大きな原因でもあると思う。  それに加え、最近は自然観察に意識を置いてあるいてるので、動物の足跡、落ち葉の形、様々なものに興味を持つことで、自然と歩くペースがゆっくりになってきていた。  また、最近のラブリーの散歩がゆっくりになったことも影響しているのかもしれない。  さらに、静かに歩くことは、単独行を多く経験している自分にとっては、当たり前に身についたものである。  職場の仲間と山に行くと、ついつい日常の仕事の話題をしてしまう時があるが、出来ればそれは避けたいという意識がいつもあったのだ。  雑談をすることで、山を歩きながら開かれているはずの、自然に対する感覚が閉ざされてしまうような気がしていたからだと思う。  そして、しゃがんでみることも最近増えている。  デジカメを使い始めたことで、しゃがんで花の写真を接写することも増えたし、歩いていて気になったものには、なるべく近づいて見てみるようになっていた。    しかし、「口元は笑うようにゆるめ」ってのは、ある意味ちょっと気持ち悪い(^-^)  でも、去年の山岳自習でマサから習った、「踊るように歩く」という感覚は理解できたし、ゆっくりゆっくり歩くことで、山の自然とリズムが合って、一体感が増すような感覚を最近掴んできていた。    なので、このフォックス・ウォークというものを知って、自然と共に生きてきた、ネイティブアメリカンの人々の伝統文化に感激を受けた。  自然と向き合うことを通して、哲学や精神性を学びとるネイティブ・アメリカンの方々の生き方には共感する部分が多い。  おそらく日本でもマタギの人達の中では、そのような自然の変化に気付くための歩き方みたいなものがあったのかもしれない。  山岳修験の世界にも、僕がまだ知らないだけで、同じような伝統があるのかもしれない。  そのへん、もう少し調べてみたい。  山を歩いていて最近つくづく思うのだ。  皆そんなに何を急いでいるのだろう。  早く歩くことが悪いとは思わない。  でも、正直僕は、山頂ばかりを意識して、足早に通り過ぎていくことは、とてももったいないと感じている。  今日は最後に、先ほど触れたトム・ブラウン・ジュニアの言葉で、心に残った一言を紹介しますね。  とても深い言葉だと思いました。  「人生の悲劇は苦しいことにあるんじゃない。何を見落としたかにあるんだ―」
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