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GWの山の事故、死者18人 「3000メートル級、冬山の様相も」

(産経新聞)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140508-00000094-san-soci(リンク切れ)

 

報道によると、今回の連休中の山の事故による死者は18人とのこと。

確かに、今年の連休中は事故が多かった印象があります。

(印象は報道の影響を受けますので、実際に数値として多かったかどうかはここでは触れません)

 

今年の連休は天候が大きく荒れなかったため、連休を通して入山者が多かった分、事故も増えてしまったのではないかと推測します。

事故が多かったことを受けて、装備の不備や認識の甘さを指摘する報道もあります。

ただ、どの事故もそれぞれ別の要因があって事故が発生しているので、全て一括りで語ることには無理があると正直思います。

 

このような事故の報に触れる度に、一登山者として感じるのは、「いつ自分がその立場になってもおかしくない」ということです。

 

落石は、どんなに登山技術を磨いた人でも、初心者でも、関係なく襲ってきます。

確かに、雪崩や落石は知識があれば、リスクを避けることは出来ますが、完全ではありません。

 

人間ですから必ずミスをします。

山、特に雪山はそのミスが命取りになる、そういうフィールドです。

遭難しない人なんて、存在しません。

 

「自分は大丈夫」と、リスクに目をつむりながら登山を続ける方が実は楽なことなのかもしれません。

しかし、見ないふりをしてもリスクは消えません。

どのようなスタイルの登山をするにしても、それは「自然」という不便なフィールドへ出向く行為に変わらないのですから。

自分事として考える、でも主観的になり過ぎない

遭難事故の報に接したときに、自分とは関係ない他人事だと思ってしまうと、少ない情報から憶測で批判をすることもできます。

しかし私は

「もし自分が遭難者だったら」、「もし自分が救助者だったら」

そこから何を学べるのだろうかと考えるようにしています。

 

「無謀な計画だ」「天候判断が安易ではないか」と自分の憶測で語りたい気持ちになったことももちろんあります。
だからこそ、遭難報道に対する捉え方は強く意識しています。
少ない情報を元に語らない、感情を交えて語らない。

そして、あえて事故について考える機会を持つのであれば、「自分事」として捉えることで感情的な判断に陥りにくくなります。
さらに、主観的になり過ぎずに、事故について多面的に理解することによって、冷静な検証できるようになると考えています。

そもそも、一般的な遭難事故報道では書かれている情報は断片的なものにすぎません。
わずかな情報から、一時的に評論をして情報を消費するだけなのか、そこから僅かながらも何かを学びとるのか。
情報への接し方、捉え方で変わってくると考えています。

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