毎週、近所の自然育児を行っている保育園で、野外保育のお手伝いをしています。
このところ、遭難関連の記事ばかり書いていたので、今日は子どもたちとの山散歩のお話です。
どちらも、保育園のすぐ近くの裏山へ入った時の写真です。
葉山は「海」のイメージが強い土地だとは思いますが、子どもたちがお散歩するにはちょうど良い、裏山がすぐ近くにあります。
5月は雪の富士山に入ることが多かったわけですが、雪山から帰宅してすぐ翌日に散歩する葉山の山もとても楽しいのです。
たまに、お手伝いにいくだけなので、保育士の皆さんと違って、子どもたちと遊んでばかりで申し訳ないのですが、私にとっては至福のひと時なのです。
子どもたちからも色々なことを学んでいますし、自分自身のこれからの育児にも大いに役立つと思っています。
私は、子どもの時に、日常的に、そして主体的に、山や自然との触れ合うことが理想的だと思っています。
それは大人になってからも同じなのかもしれません。
休みの日だけじゃなく、日常過ごしている場所にも小さな自然があります。
そして、誰かが決めた目的や手段ではなく、自分自身が「いい!」と思うスタイルで、自然に入れるといいですよね。
大人になると、登山はいつしか、「登頂すること」、「コースを踏破する」ことが目的になってしまいがちです。
でも、もともとはそれって「手段」なはずなんですよね。
一部の登山家を除けば、登山はスポーツと違うので誰かに評価してもらう必要もありません。
登頂とか踏破とか、形として結果を残す必要なんてないんです。
本当はコースを踏破する中で、仲間と楽しく遊びたい、いい写真がとりたい、おいしいご飯やお菓子が食べたい、自分にとっての豊かな時間が過ごしたい、・・・わけなんです。
「これだけ歩けた!」という達成感は、小さな子どもたちの成長にもつながると思うので、そういう歩き方もたまにあるといいでしょう。
ただ、やはり一人ひとりの中にある、山を歩く目的の部分は常に大事にしてもらいたいと思います。
それは・・・
目的が手段にすり替わってしまうこと。
本来の目的を見失ってしまうこと。
これが、実はとっても怖いことだと思うからです。
目的を大事にしていれば、無理をして登頂をするという選択もしないはず。
これこそが、安全な登山の第一歩なのだと思います。
ただ、富士山のように誰もが知っている有名な山は、どうしても登ると明確な記録になりますし、仲間に言い触らせますし、登り始めると、つい本来の目的を忘れて山頂に行きたくなってしまいます。
これは「魔力」と言ってもいいのかもしれません。
夏、富士山に登ろうと多くのファミリーが登山を予定されていると思いますが、子どもたちのためにも、ご両親が目的を忘れないように是非お願いします。
幼稚園生が富士山に登ったというような話を聞きますが、私は上記の理由からあまりおススメしません。
富士山は日常のフィールドではないですから、「打ち上げ花火」的体験で終わってしまいます。
自然との触れ合いが長く続いてこそ、子どもたちの心の中に豊かな体験は積もっていくことでしょう。
また、子どもたちが主体的に歩いたり、遊ぶことが大事です。
大人の役割は、小さな子どもを頑張らせて結果を残すことではないと思っています。
その子どもが道端で興味を持ったものがあれば、その道草に徹底的に寄り添うことだと思います。
親子で一緒に頑張って登ろうという目標を子どもと共有するには、個人的には小学校高学年以上からだと思っています。
なので、LISの富士山ツアーは小学校高学年からが参加対象にしています。
ただ、親子の関係、子どもの心の発達は年齢だけでは測れないので、親御さんの判断で小学校中学年のお子さんでも参加をお受けしているという状況です。
まとまりなく書きましたが、山を歩いたり、自然に入ることの影響力は、大人以上に子どもの方が多く受けますので、私自身が大切にしたいと思っていることを書いてみました。
葉山の裏山の話から大分それちゃいましたね。
子どもとの登山のことで、質問などありましたらお問い合わせくださいね。