ただ、ここからが私も大いに迷いました。
頭部を負傷、もしかしたら脊椎も損傷しているかもしれない、と思いました。
まず、現状の二人で5合目まで搬送をすることは困難だと思いました。
そして、救急車は5合目までしか上がってこれず、しかも通報から5合目到着まで一時間くらいはかかるでしょう。
この日は晴天で風も弱いので、可能であればヘリで救助するのが一番迅速な救助が出来ると思いました。
無我夢中で、誰に言うでもなく、「ヘリを呼べ!」と叫んでいました。
そして、要救助者には「大丈夫、助けが来たから」などと、落ち着いてもらえるように語りかけました。
しかし、要救助者は依然、錯乱状態で叫び続けていて、会話ができません。
コミュニケーションがとれなかったことから、私は頭部への損傷が大きいのではないかと推測していました。
ちょうどこの時、歩荷スタッフのBが事故を知らせるのに5合目に走っていました。
経験上、110番通報から現場の山岳救助隊への連絡が行く時間を考えれば、
富士宮口5合目の警備派出所(静岡県警が夏季に設置)へ直接連絡に行った方が速いと思ったそうです。
その頃、歩荷スタッフCとD(以下、C、D)は、要救助者に同行していた女性2名のサポートをしていました。
ディレクターさんも最寄りの宝永山荘に連絡に走っていました。
さらに、近くにいた登山者からの110番通報もあったのかもしれません。
上記のような他の皆さんからの通報は、当然私は知りませんでした。
私は私で、怪我の程度からして、とにかく少しでも早い緊急搬送が必要と思い、110番通報をしました。
その後、少しずつ、小柄な体格から要救助者は子どもではないかと思えてきました。
さらに会話が成り立たない理由はもしかすると元々何らかの障害を持っているのかもしれないと思えてきました。
ただ、同行していた女性2名が近くにいないため、確認ができません。
すると、ちょうど宝永山荘で食事休憩中だった富士市山岳救助隊の3名が登山道から下りてきました。
救助者が増えて総勢5名となったため、痛がって動く要救助者を抑えながら、頭部への止血などの処置を行いました。
しかし、しばらくすると暴れて止血に使っていた三角巾を外してしまいました。
この時に気付いたのが、すでに頭部からの大きな出血はなかったことです。
そのことから、頭部への負傷の程度が思ったほど重症ではないようだということでした。
自分で暴れて、三角巾を外す元気があるのです。
そこで、いったん私が現場を離れて登山道に上がり、同行の女性2名に状況を聞きに行くことにしました。
登山道に戻り、同行女性2名とCとDに事情を聞きました。
滑落したのは障害をもった男児で、同行のご家族はお母様とおばあさまでした。
岩場で遊んでいたので「危ないので下りて」と注意したが、下りる際に勢いがついてしまいそのまま滑落。
これで、ようやく状況が分かってきました。
私からは「大丈夫です。ヘリが来るまで待ちましょう。」とご家族に伝えて、再び現場へと下りました。
男児の情報を確認したことで、当初、怪我の程度が重いと判断していた、「会話が出来ない」理由が分かりました。
それにしても、頭部への負傷はしばらく経過してから容体が急変する可能性があります。
むやみに動かすわけにもいきませんので、とにかくヘリの到着が少しでも早くなるよう祈るしかありませんでした。
そこへ、5合目の警備派出所に待機していた静岡県警の山岳救助隊の方(1名)がやってきました。
すぐさま、怪我の様子を見て、無線でヘリを要請し、県警ヘリではなく県消防の防災ヘリの出動を要請していました。
おそらく、怪我への最善の対応を考えて、消防ヘリを要請したのだと思います。
また、無線通信の中で、語気を強めて再三「消防ヘリの出動要請」を繰り返していました。
行政手続き上の問題なのか、原因は分かりませんが簡単には出動できないのだということがよく分かりました。
こうして、後はヘリの到着を待つだけという状況になりました。
その後の対応は富士市山岳救助隊3名と県警山岳救助隊1名、プロの救助4名に任せ、私達は引き上げることにしました。
登山道へ上がり、ご家族にごあいさつし、手が空いた者から宝永山荘の方へ引き上げていきました。
「そうか、そういえばちょうど、カメラチェックをしているところだったんだ」
と我に返りました。
とっさに救助に走りだしたので、仕事をほっぽり出したことすら忘れていました。
ロケチーム(ディレクター、カメラ、音声さん)と合流し、「撮影の続き、やりますか?」と聞かれました。
しかし、さすがにそんな心境ではありませんでした。
疲れも感じていたので、「昼飯にしましょう」と提案し、宝永山荘に入りました。
昼食を頼むとヘリがやってきて、救助隊員が資材と共に降下してきました。
しかし、懸念していた通り、ヘリの出動に時間がかかったため、雲があがってきてしまっていました。
雲で視界不良となり、ヘリが現場に近づけない状況がしばらく続きました。
この間、宝永山荘前の分岐点から宝永遊歩道が通行止めになっていました。
6合目の小屋前は人だかりとなり、ヘリでの救出劇をみんなが見守っていました。
ようやく雲間が出て、視界が開けたタイミングでヘリが近づき、無事にピックアップ。
消防ヘリで、病院へと搬送されていきました。
事故発生からヘリでの救助まで2時間の出来事でした。
無事に病院に辿り着き、後遺症なく回復できますように。
ヘリが見えなくなるまで、本当に祈りながら、空を見つめ続けていました。
この経験から私も多くのことを学ばせてもらいました。
このレポートに続き、私たちの救助活動の検証記事も後日掲載予定です。