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「屋久島の森深く」  淀川登山口を出発して淀川小屋に向かう。  南国を思わせる密度の濃い森の中を歩く。  屋久島の中央にそびえる山岳地帯には北から永田岳、宮之浦岳、栗生岳、翁岳、安房岳、投石岳、黒味岳、高盤岳といくつものピークが連なっている。  この中で黒味岳、高盤岳の間、屋久島の屋根ともいえる山岳地帯の南部に、花之江河、小花之江河という高層湿原が広がっている。  この小花之江河を源にして流れるのが淀川であり、淀川登山口から歩くこと40分ほど、登山道がこの淀川を横切る地点に淀川小屋がある。  この淀川小屋のすぐ脇、淀川を渡る橋のたもとで休憩をとり、上に雨具を羽織って防寒対策とする。  今回は軽量化を計るため登山靴ではなく沢タビを履いてきている。  沢に入るときだけ沢用サンダルを着けて歩くのだ。  エメラルドグリーンとも、何とも表現のしようもない清らかな流れが、静かにとうとうと流れている。  この透明度の高い沢の流れに腰まで浸りながら、未知の世界へと踏み入っていく。  こうして、屋久島の奥深く、淀川の源流域への旅が始まったのであった。      ちなみに、淀川登山口からの登山道は、淀川小屋(入渓地点)から二時間弱も歩けば、小花之江河へ到る。  すなわち、私達は登山道を歩けば二時間の距離を、2泊3日かけて歩いたということなのだ。  このことだけでも、いかに僕らが屋久島の沢を、深くじっくりと味わったかがお分かり頂けると思う。  つい数日前に台風が過ぎ去ったとは思えないほど、沢の水は静かに流れ、その水面は、時に陽の光を、時に周囲の緑を映して様々な色を見せる。  屋久島は花崗岩の隆起によって出来た島で、沢の中では何千年という時の中で少しづつ侵食されて作られた、自然の造詣美が広がっている。  バスケットボールほどの大きさの丸い穴が、花崗岩の岩を綺麗にくり抜いたように開いている。  その中に小さな小石が詰まっていて、まるで日本庭園のようだ。  中には、人一人が入れそうな大きな穴が開いていたり、神秘的である。  夏であれば、それらの穴に飛び込んでみたくもなるが、季節は10月、屋久島といえども沢の水は温かくない。  夜は、沢から少し上がった場所で五人が眠れるスペースを探してビバーク。  夜は、マサの口琴の音が森の中に静かに響く。  マサの音楽に目をつぶって身を委ねていると、自分が異次元の世界にいるような不思議な感覚に包まれてくる。  意識が時間も空間も飛び越えて、自分はただ原始の森にいるだけなのだという気持ちになってくる。  いつ自宅を出たのか、いつから屋久島に来たのか、今は何曜日なのか、仕事のこと、そんなことが時折頭をよぎることもあるのだが、それ以上頭が回らない。  自分自身の意識がいつもとは違うところに集中しているのだ。  周囲の風景と音、今はただ、360度に広がる森の闇と静けさ。  何も見えず、聞こえないのではなく、月の光で空は少し明るく、風が木々をかすめるわずかな音がする。  そして、意識はそんな視覚や聴覚で得られる感覚以外にも、少しづつ開かれていく。  それは何なのだと、具体的な説明を求められても難しい。  とにかく自分の身に起こった事だけを記しておく。  その場の空気を感じながら、目を瞑り、腹式呼吸をしていると、瞑想のような状態になる。  しばらくすると耳からではなく、どこからともなく「音」が聞こえてくる。  ワオンワオンと何かが響いているような音で、その後屋久島に滞在中に何度となく聞こえてきた。  ある時は歩きながら、目を瞑らなくても意識を集中させると聞こえてきたのだ。  いつもの山行では歩きながら考え事をすることも多かったが、屋久島ではそれも少なく、頭の中に響いてくる音を感じ取って、実際に音には出さない時もあったが、即興の鼻歌を歌いながら歩いていた。  初日の夕焼けの浜から始まった、「祈り」にも似た感覚。  マサの影響もあるが、この夜、森の中で過ごすことで、私にとっては屋久島の自然の中を巡礼するような感覚が始まっていったような気がする。  翌日も、台風後の好天に恵まれて青空が広がっていた。  沢の中でも水位の浅いところを伝いながら、それぞれ思い思いに歩く。  ゴルジュ(廊下上に沢が岩壁に囲まれて狭まった場所)では、また水が違った表情を見せる。  神秘的な色をした釜の前で、五人はしばらく立ち尽くす。  ゴルジュを巻くように、沢の右岸の斜面を登り、なだらかな森に到る。       途中、大きな屋久杉に出会い、皆でそっと挨拶に行く。  遠めから一眼レフカメラを目一杯広角で構えても、納まりきらない。  まして、シャッターを切ることが恐れ多いような気さえする。  一人ひとり近づいて、杉の幹に触れて挨拶を交わす。  びっしりと苔をまとった幹に触れると、まるで生きている獣の毛並みのようだ。  抱きついて、頬をつけると予想以上に暖かい。  見上げれば、多くの着生した広葉樹の葉が見えるが、杉の枝も葉も見えない。それほど高いということなのだ。  その後、写真を撮らせて欲しいお願いをして、樹上を見上げて一回だけシャッターを押した。  このあとは、倒木の上や岩の苔の上に生えた幼木に目が行くようになる。  森が深くなり、湿度も高くなるせいか、着生植物が多く見受けられるようだ。  中には岩の上に育った杉が成長して、根が岩を抱いた状態の杉まである。  その生命力にはただただ驚くばかりだ。    いつからか、テントを使うなんて考えられないくらいに、森の中の生活に一体感を感じてきていた。  朝、マサの口琴と歌で目覚める。  夢の中で何か音が聞こえてきたと思ったら、現実だった。  一人またひとりと起きてくる。なんとも贅沢でスローな目覚めだ。  この日はついにこのFOSのコースの最終日。  屋久杉の原始林から源流域の小花之江河の湿原地帯へ抜け出るのだ。  傾斜が増してきて、大きな岩の上を登り、時に岩の間を縫うように進んでいく。  水量が減ってきて、周囲の雰囲気も変わってきた頃、突然目の前に重なった岩が、目の前に立ち塞がった。  しかし、岩の間に人一人が通れるくらいの穴が開いていて通路になっている。  まるで、ここが現流域への入り口だと言わんばかりだ。  ここで、しばらく立ち止まる。ここで一人ひとりがそれぞれに何かを思い、祈る。  原生自然に分け入る儀式のようでもあり、そこから何かを感じ取る時間でもある。  誰が決めたわけでもないが、強くインスピレーションを感じるポイントでは、先頭を行くマサが立ち止まって待っている。  次に皆が立ち止まったのは、小滝ともいえないほどの小さな滝の前。滝の向こうに霧に包まれた森の中にひときわ大きな巨杉のシルエットが浮かんでいた。  次に立ち止まったのは、沢の両脇に鎮座していた丸い岩。まるで神社の狛犬のようだ。  ここから先は、シャクナゲなどの低木がブッシュのように広がり、水の流れも細くなってくる。  どうやら湿原に近づいてきたようだ。  シャクナゲの硬くて太い枝に悩まされながら、ヤブを掻き分けて進む。  一人ひとりの間隔が空いてしまうと、藪の中で姿が見えなくなる。  前を歩くマサや糸ちゃんの声を頼りに進む。  ずいぶん長く歩いたような気もするが、距離としてはそれほどでも無いのだろう。  やがて、僕らが淀川の水を遡って来た旅の終着点、小花之江河に到る。  手前で休憩を取りながら、一人ひとり最後の時間を過ごす。  時折、僕の意識に聞こえていた「音」は、この時は湿原一体から高く響いてきていた。  小花之江河を通る登山道に出て、木道の上で身支度をする。  沢サンダルを脱ぎ、行動食を食べている間にも多くの登山者が通る。  この3日間、淀川小屋から入渓して以来、他の人とは一切会わなかった。  この日のうちにアジコは飛行機で帰らなければならなかったので、足早に登山道を淀川登山口へと向った。  途中にハッとするような見事な杉やヒメシャラの木などがあったが、少し見上げて先を急いだ。  淀川小屋の橋を渡る。入渓した日と同じように沢は静かに流れている。  沢の水が何となく名残惜しくなり、一般登山者が珍しそうに見つめる中、沢に下りて腰まで使って、足回りの泥を落とす。  先を行く皆を追いかけて足早に行く。  沢タビで地面の感触を味わいながら歩くのも気持ちいい。  こんな山歩きを経験してしまっては、病み付きになりそうだと思いながら、残りの屋久島滞在のことを考えていると、登山口につく。  手短に着替えて、荷物を整理する。  出発間近、マサが叩いた竹ポコ(竹に穴を開けて作った太鼓のような楽器)の音は森一体に響いていく。  竹ポコのこだまを残して、五人はアジコを空港に送りに車に乗り込んだ。  アジコがチェックインをしている間に、僕とマサで交代で空港の売店で「一人一本限定」の芋焼酎「三岳」を二本買う。  あの淀川の源流域で過ごした豊かな時間の直後に、混雑する空港から東京へと帰らなければならないアジコが少し可哀想ではあったが、きっと大きなお土産を胸に帰って行くことだろう。  アジコを乗せた飛行機が空に飛び立っていくのを見送って、四人は初日に立ち寄った「杜の家」へと向った。
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