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「きっとまた来る」  濡れた衣服を干して着替をする。  安らげる場所に戻れたせいか、軒先から眺める雨の風景、雨音は叙情的なものになってくるから不思議だ。  しばらくすると雨も止み、外でツェルトを干す。  さらに次の台風がせまっていたので、マサの携帯電話をかりて帰りの飛行機を予約する。  夕方には雨も上がり、マサとシンシアと共に夕日を見に行く。  少しでも見晴らしのいいところへ車を走らせるが、日没までに栗生の浜には着きそうもなく、途中の公園に車を停める。  台風一過の晴れ空が夕焼けに染まろうとしている。  西の空の水平線近くには北に向かって流れる、ぶ厚い雲の帯がある。  台風の「尻尾」にあたる雲なのだろう。この雲がかなりの速度で流れている。  しかし、空全体を見れば、台風一渦の静寂に包まれていてる。  水平線に沈み行く太陽が、雲に隠れてその姿こそ見せないが、あざやかに空を薄橙色に染めていく。  その様子を三人でしばらく眺める。  やがて上空に残った小さな雲達も夕焼けに染まり始め、雨に洗われた澄んだ空は透き通った金色にまぶしく輝く。  山岳活動の時と同じような光に包まれてしばし佇む。  あたりが少し暗くなって月が輝きだしたころに杜の家に帰った。  この夜は、一人湯泊温泉に行こうと思っていたが、疲れた体をハンモックに委ねたら、気づかぬうちに深い眠りに就いていた。  翌日は一日自由に行動する時間があり、夜までに宮之浦の晴耕雨読に行く予定になっていた。  マサはこの日のフェリーで屋久島を離れることになっており、車に同乗させてもらうことにする。  昼間の時間を利用して千尋の滝からモッチョム岳に行ってみることに決め、マサに千尋の滝の駐車場まで送ってもらう。  マサと分かれて、まずは千尋の滝へ。  ここは観光バスが乗り入れている観光スポットだ。  観光客に混ざって展望台から滝を眺める。  その後、さっそくモッチョム岳に向かう登山道を登るが、道が途中で途切れていてその先は台風のせいだろうか、崩壊している。  他に巻き道などがなく、無理して登ろうという気も無かったので、あっさりと引き返す。  時間を持て余してしまったので、展望台に戻る。  そこから滝を眺めるだけではつまらないので、近くにロープで塞がれた道を見つけ、こっそりロープを跨いで先に進む。  予感が当たり、この道は展望台の下に下りる通路になっていた。  おそらく落石などの危険があるので閉鎖されたのだろう。  安全を確認しつつ、進める奥まで行き、滝に対面する形で座る。  小一時間、千尋の滝と向き合って屋久島の日々をじっくりと振り返った。  その後は歩いて、バス通りまで歩き、千尋の滝の下流、鯛の川の河口近くのトローキの滝を橋の上から眺める。  そして、「鯛の川」バス停からバスに乗り込む。  途中、楠川で降りて楠川温泉に立ち寄り、夕方宮之浦へ。  スーパーで弁当を買って、港の防波堤の上に座って夕飯を食べる。  そして、屋久島最後の宿、晴耕雨読に入る。  素朴な素泊まり宿で、一人旅の者には他の旅行者と気軽に語り合える雰囲気がある。  しかし、これまでの屋久島生活のリズムにもう少し浸っていたかったので、にぎやかな場所を避けて、一人宮之浦川のほとりへ。  すっかり耳に馴染んでしまったのだろうか、やはり、水の音が心地良い。  ようやく携帯電話の圏内に来たので、彼女にメールを送る。  10日間にもおよぶ留守を任せていたので、感謝の気持ちを伝える。  宮之浦大橋の脇にかかる、細い橋の上から川の流れを眺め、先に帰ったアジコ、糸ちゃん、マサ、そしてヒッチハイクで拾ってくれたKさんにもメールを送る。  こうして、屋久島最後の夜は更けていった。  翌朝は、宮ノ浦の港から朝日を眺めようと思っていたが、あいにくの曇りで少し寝坊する。  まず、不要な荷物を自宅に送るために郵便局に向かう。  ゆうパックのダンボールに詰められるだけ詰める。  次に宮之浦の魚屋でサバ節やさつま揚げなどのお土産を買い、これまたクール宅急便で送る手配を済ませる。  その後、お昼ご飯を食べるため、屋久島初日と同様、かぼちゃ屋に入る。  エビフライカレーを食べ(これがまたうまい)、ついでに山尾三省さんの本を買う。  まだ少し時間があるので、さらにお土産を物色しようと宮之浦港近くの観光センターへ。  その後、宮之浦港のバス停から屋久島空港へ向かう。  こじんまりとした空港には、出発時刻が近くなるにつれ搭乗客が集まりにぎやかとなる。  他の搭乗客と比べると馬鹿でかいザックを預ける。  ザックには、もちろん今回の花山歩道での山行を共にした屋久杉の杖がくくり付けられていた。  この杖は、この後羽田から混雑する電車で帰宅する中、とっても邪魔となるのだが・・・。  滑走路を歩いて飛行機に向かう。  途中、山々を振り返りながら、別れを惜しむというよりは、きっとまた来るからと自分に言い聞かせるようにして、機内へ。  こうして、僕の屋久島滞在は、長かったようであっという間に過ぎた。  屋久島滞在はわずか一週間であったが、その後は自然への見方、接し方が変わった。  そこが、どこであろうと、その時、その一瞬ごとに自然に対して新鮮な気持ちで向き合う。  最近も、丹沢のブナの巨木を見上げては屋久杉を思いだす。  そんな時に、私はまだ屋久島とつながっているんだなぁと思うのだ。
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