Pocket
LINEで送る

唐松岳山頂近くの斜面、八方尾根は部分的に急な斜面がある

ピッケルが必要だと呼びかけられていること、その意味

今年のゴールデンウィークは残雪の富士山と残雪の唐松岳でのガイドツアーを開催しました。

この時期の森林限界を超える山はピッケルが必要な状況であることが多いのですが、毎年のようにノーピッケルの登山者を見かけます。
今年の富士山でも、ピッケルなしにダブルポールで、チェーンアイゼンの登山者に出会いました。
7合目付近で出会っただけで、その後どうしたか分かりません。
まさかあの装備で山頂までは登っていないとは思いますが、「ちょっとその装備で来るのはどうなの?」と思って、以下のつぶやきをtwitterにあげました。

普段から雪山を安全に行動する知識・技術を伝えている立場なので、ついつい老婆心を抱いてしまうのですが、ピッケルを持たないでこの時期の森林限界を超えた山に行くという行為がどういう危険性を秘めているのか、もっと理解が広まって欲しいと思うのです。

この時期の山小屋の多くは、「ピッケルと前爪のあるアイゼン(10-12本爪)で登ってください」というアナウンスをしているのをよく見かけます。
一例として蝶ヶ岳ヒュッテさんと燕山荘さんの投稿を紹介します。

何故、ピッケルと前爪のあるアイゼン(10-12本爪)が必要なのでしょう?
それは、ひとたび転倒してしまったらピッケルを持っていなければ滑落を止めることが困難だからです。
ポールを持っていればバランスを保持する役には立ちますが、転んでしまったら何の役にも立ちません。

そして、朝晩の気温の変化の激しいこの時期は、気温によって雪質が変化するので、アイスバーンになったり、高温で雪がグズグズに腐った状態であっても、爪がしっかり刺さってグリップしてくれる10-12本爪のアイゼンである必要があるからです。
チェーンアイゼンでは爪が短く、雪面への刺さりが弱く、4-6本爪のアイゼンでは靴底全体に爪がないので、安定性が低いのです。

もちろん、たまたま登山をした日の天候と雪質が良い場合は、ピッケルを使う必要がない場合もありますし、軽アイゼンやチェーンアイゼンで問題なく歩ける場合もあります。
しかし、山の上に宿泊する場合、翌日の天候次第では雪質が激変していることもあります。

登山当日がどんな雪質か分かりませんし、登山者自身がどの程度の技量があるかが分からないので、山小屋関係者は万全の装備をもって登山してくださいという意味で、「ピッケルと前爪のあるアイゼン(10-12本爪)」の持参を呼び掛けているのです。

そして、こうした呼びかけの言葉を深読みすると「滑落したらポールでは停められない可能性がルート上にまだありますよ」と言っていると捉えたいです。
山小屋関係者がそのような直接的な表現をすることはないと思いますが、「何故ピッケルの必要性に言及しているのか?」を考えれば、滑落の危険性があることを伝えようとしていることを読み取って欲しいです。

唐松岳の急斜面をダブルポールで下る登山者たち

そして、実際に先週末登った唐松岳もそうした滑落の危険個所がありました。

それが冒頭の写真の斜面です。
こちらに拡大した写真を再掲します。

二人の登山者が下っている箇所、地形図で読み取ると30-35℃程度の斜度があります。
この八方尾根の中では比較的斜度がきつい場所です。
当然ながら夏道はもっとなだらかに迂回するように道がついているのですが、積雪期は尾根沿いを直線的に歩くので、下山時はこのような急斜面を下らなければなりません。

問題は雪質です。
私が下見に入った5月6日の日中は晴天で気温も上げり、雪も柔らかく、転倒しても体が雪に埋まるので滑落の心配は全くありませんでした。
翌7日土曜日も晴天で、雪も柔らかく、この箇所に限らず日中は滑落の心配をするほどの雪面ではありませんでした。
しかし、7日夜から天候が崩れ寒冷前線が通過し、夜間の稜線は霧雨となりました。
そして、明けた8日の朝は一時的に冬型の風の強く寒い天気となり、上部の雪面はカチカチに固まっていました。

「アイスバーン」と呼ぶほど硬い雪ではないので、登っていく分にはアイゼンが良く効いて歩きやすい雪面でしたが、キックステップで爪先を蹴り込もうと思っても、雪面が削れない硬さでした。
このような雪面状況の時は、万が一雪の上で転倒したらすぐにスピードが出て勢いよく滑落していく状況です。

上記の写真は、私たちが午前中に登っていく時に撮影しましたが、唐松岳頂上山荘に宿泊していた登山者とちょうどすれ違うタイミングになりました。
そして、何より驚いたのは、この箇所ですれ違った登山者4-5名が全てピッケルなし(大半がダブルポール)で下りてきていたことです。

万が一、この斜面でバランスを崩して転倒したら、ポールでは絶対に停めることができません。
写真だけでは斜面のスケールが分からないと思いますが、この赤矢印の先にもずっと同じ斜度の斜面が標高差で500mほど続いていて、滑落した場合は、谷底の平らな斜面に到達するまで止まらないであろうことが想像できます。

中にはピッケルを持って来ているのにザックに括りつけたまま、ポールを使ってこの場所を下りてきた方もいました。
この斜面でピッケルを使わないなら、いったいどこで使うつもりでピッケルを持参したのでしょうか?

シールベルトのない車で

話が少しそれますが、あなたはシートベルトのない車で運転が出来ますか?
そもそも公道では交通違反になってしまうという問題はありますが、例えば私道であったとしてもスピードを出して運転する時に、シートベルトを装着しないなんて私には怖くて出来ません。

ただ、私自身、「シートベルトやチャイルドシートがあって良かった!」と感じるような体験(事故)は起こしたことがありません。
シートベルトの恩恵を実体験したことはないですが、それでもシートベルトは着用し続けています。
「万が一事故が起こったら」ということを想像できるので、多くの人はシートベルトを着用しているのだと思います。

ピッケルを持つことも同じことなのではないかなと思います。

私自身、足を滑らせてピッケルを使っての初期制動をして止めたことはありますが、本格的に滑落してピッケルがあって助かったという経験はありません。
でも、必要かもしれないと思うルートを歩く時は、ピッケルを必ず持っていきます。

雪山というリスクのある遊びをしている以上、自分自身の安全は自分自身の力を最大限尽くして確保する。
ピッケルを持つということは、そうした心構えの象徴でもあると私は感じています。

 

もちろん、「ピッケルが必要」と言っても、当然ながら持ってくればOKという単純な問題ではなく、初期制動、滑落停止といったピッケルを使った技術を身につけておく必要があります。
これはもちろん前爪のある10-12本爪のアイゼンについても同じことが言えます。
安全のために必要な装備は、安全に使う方法を理解し、体得しておく必要があります。

天気の良い時を選んで注意して歩いていれば、簡単に事故が起こるわけではありません。
どのような装備を持つかも含めて、登山は最終的に自分自身のことは自分自身が責任をもって決めることだと思います。

なので、ピッケルを持っていないからと言って一概に批判をしようとは思いません。
しかし、少なくとも必要な装備を持たずに登るということは、シートベルトのない車を運転するような行為だということを忘れないでおいて欲しいと思います。

Pocket
LINEで送る